永井:本日はお忙しい中、お集まりいただき本当にありがとうございます。私、永井怜は今シーズンを持ちまして現役を引退するという決断をしました。現役の時は本当にマスコミの人をはじめ、本当にお世話になりましたので、その感謝の気持ちを込めて、今日、僕の気持ちを伝えたいと思います。
記者:引退を決断した今の率直な気持ちをお願いします。
永井:2006年に入団して、プロ9年間という短い期間でしたけれども、最初はやっぱり本当にガムシャラにやって来て、それなりに結果も出ていて。怪我をしてから自分の思うようなプレーが出来ず、悔しい気持ちでいっぱいでした。何とかチームの力になれないかなと思い続けましたけれど、自分に限界を感じ、引退をするという決断をしました。
記者:引退までの経緯・理由などありますか?
永井:新聞にも報道がありましたけれど、来季構想外というお話がありまして。そういった面で現役を続行するという気持ちはもちろん当然ありました。しかし、ここ東北の地で育ててもらって、東北の皆さまにまだ恩返しができていないと。そういう意味で、生え抜きで、ここで終わりたいと思いました。
記者:今年はファームで登板を続けていましたが、球の走りなど、いかがでしたか?
永井:昨年なのですが、中継ぎで登板した際、スピードが全盛期の時と同じくらいになりました。しかし今年に入って、思うようにスピードが出ず、やっぱり全盛期に比べてはキレも無くなっていたので。実戦の中でも打者の反応ですとか、色々な面で、今年の自分の投球は正直厳しいなと思っていました。
記者:引退を決意したことに関して、家族やチームメイトなどに報告しましたか?
永井:本当に引退すると決めたのは、ここ2、3日なので。それまではやっぱり「現役を続けたい」「まだまだファンの人たちに投げる姿を見せたい」という気持ちはあって色々悩みました。そういった中で今まで僕の野球人生の中で野球の指導者・恩師の方々・コーチの方々・チームメイト・裏方さん、色々な人に相談しました。そういった時にやっぱり、僕のためを思って言ってくださる方がたくさんいたので、そういう人の気持ちを考えながら、引退という気持ちに固まりました。
記者:その時の反応はいかがでしたか?
永井:最初は、「やって欲しい、まだまだお前の投球を見たい」「他でできるなら他でやってほしい」という気持ちは伝わってきました。でも、本当に僕のことを思って、これから先の人生の方が長いですから。そういうアドバイスもいただきました。寂しい気持ちと、これから頑張ってほしいという両方の気持ちだったと思います。
記者:これまでのプロ野球生活を振り返って、特に思い出に残っていることはどんなことでしょうか?
永井:やっぱり、何ですかね・・・。不安だらけのプロ入りでした。東洋大学から入団して、特に東洋大学で実績も無く、楽天でドラフト1位という本当に光栄な評価をしていただき。正直、不安だらけのプロ野球生活でした。その中で一番の想い出にというか印象に残っているのがプロ初勝利。ここ、今は名前が変わってしまいましたけれど、当時はフルキャストスタジアム、今はコボスタ宮城。そのときのお立ち台の風景、景色が今でも忘れられないです。
記者:2009年には13勝を挙げて、クライマックスシリーズにも初めて進出しました。
永井:僕自身の中で、あのシーズンは、岩隈さん、田中将大。あの2人に何とか追いつきたいと頑張ってきたシーズンでした。ただガムシャラに1年間を投げ抜いたという、そういうシーズンの想いしかないですね。そういった中で球団初のクライマックスリーズに進出できたし。僕も頑張ってきたという自信がありましたから。やっぱり、ああいう経験が出来て、今では良かったかなと思います。
記者:いま名前の挙がりました岩隈久志選手・田中将大選手には報告をしましたか?
永井:岩隈さんにはまだ報告はしてないのですけど、田中には一応、連絡はしました。「え、本当にやめるんですか」という反応でした。まあ、本当に一緒に弱い時から頑張ってきた仲だったので、一番に報告したいなという気持ちが正直ありました。
記者:そうした田中選手の反応を見て、いかがでしたか?
永井:そうですね、あいつも僕が怪我してから結構心配してくれていたので。何とか復活できたら良いなと思っていましたけど、それができず申し訳ないという気持ちでいっぱいですね。
記者:9年間を振り返り、充実感など、どのように感じていますか?
永井:プロ野球生活9年間しかやっていないので、本当に周りから見たら短い期間ですけど、正直あっという間の9年間でした。実質、本当に活躍出来たのが4年くらいなので。その他、あと5年はほとんど怪我で苦しみ、何とかこの状況を打開できないかなと思っていましたけど。本当に最初は2・3年で終わるかと思っていましたけど、9年も出来て本当に良かったと思います。
記者:ここまでやって来れた力になったものは何でしょうか?
永井:それはやっぱり、今まで出会った監督さんですとか、コーチの方々・裏方さん。怪我をしてから本当にお世話になったトレーナー陣の方々、そういった方々に支えられて。怪我をしてからは家族にも本当に支えられたので、本当に今は感謝の気持ちでいっぱいです。
記者:チームメイトに言葉を残すとしたら、いかがでしょうか?
永井:うちの球団は他の球団に比べて投手陣がだいぶ若いので。ここ最近は2軍生活が長かったので、イキの良い若手を見てきたので。正直、2・3年後が凄く楽しみです。投手王国になるといっても過言ではないと思うので、そういった姿を外から見るのが今から本当に楽しみです。
記者:最後に、ファンの皆さまへメッセージをお願いします。
永井:入団当初から、熱い声援、「永井、頑張れ頑張れ」という気持ちを本当にいただいて。僕自身も感じていましたし、怪我をしてからなおさら僕も感じていました。なんとか復活できないか、そういった思いでやっていました。皆さんもご存知の通り、2011年、東日本大震災がありまして、ちょうどその時期に僕は怪我をしてしまい。何とか僕が復活する姿をそういった人たちに見せたいなと思って、そういった姿を見せることが、やっぱりそういった人たちの勇気につながるのではないかと思って、ここまでやって来れました。これからはプレーで見せることはできないですけど、また違った形で本当に力になっていきたいなと思っているので、本当に9年間、感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございましたという気持ちを伝えたいです。
年 度 | 所 属 球 団 | 登 板 | 勝 利 | 敗 北 | セ | ブ | ホ | ル ド | 完 投 | 完 封 勝 | 無 四 球 | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 安 打 | 本 塁 打 | 四 球 | 死 球 | 三 振 | 暴 投 | ボ | ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 |
2007 | 東北楽天 | 38 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | .500 | 542 | 127 | 117 | 14 | 51 | 8 | 98 | 3 | 0 | 55 | 51 | 3.61 |
2008 | 東北楽天 | 27 | 6 | 7 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | .462 | 521 | 117.1 | 121 | 17 | 47 | 4 | 111 | 6 | 0 | 68 | 61 | 4.68 |
2009 | 東北楽天 | 26 | 13 | 7 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | .650 | 703 | 171 | 153 | 17 | 50 | 8 | 144 | 7 | 0 | 69 | 65 | 3.42 |
2010 | 東北楽天 | 27 | 10 | 10 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | .500 | 779 | 182.2 | 173 | 20 | 69 | 3 | 125 | 4 | 0 | 82 | 76 | 3.74 |
2011 | 東北楽天 | 16 | 4 | 5 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | .444 | 420 | 102.2 | 92 | 10 | 26 | 3 | 77 | 4 | 0 | 39 | 32 | 2.81 |
2012 | 東北楽天 | 5 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .250 | 118 | 27.1 | 29 | 1 | 10 | 2 | 22 | 1 | 0 | 10 | 10 | 3.29 |
2013 | 東北楽天 | 10 | 2 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .333 | 229 | 54.2 | 47 | 6 | 15 | 2 | 31 | 3 | 0 | 22 | 21 | 3.46 |
2014 | 東北楽天 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 29 | 6 | 9 | 1 | 2 | 0 | 7 | 3 | 0 | 4 | 4 | 6.00 |
通 算 | 154 | 43 | 43 | 0 | 1 | 14 | 7 | 1 | .500 | 3341 | 788.2 | 741 | 86 | 270 | 30 | 615 | 31 | 0 | 349 | 320 | 3.65 |
※2015年10月4日(日)現在