2013/01/08 (火)
チーム

「今までの会見とは全く違った興奮」斎藤隆選手の入団会見

入団会見

本日、斎藤隆選手が日本製紙クリネックススタジアム宮城で入団会見を行いました。地元・仙台出身の斎藤選手は、「チーム・選手だけでなく、スタッフ・球団の方々とともに、仙台の地にチャンピオンフラッグがたなびくことを夢見ながら一歩一歩今日からイーグルスの一員として歩んでいきたいです。」と熱い想いを語りました。8年ぶりの日本球界復帰。想い出の地で、決意と覚悟の溢れる会見となりました。

斎藤隆選手との契約合意に関して
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■立花陽三 代表取締役社長

立花陽三 代表取締役社長

あけましておめでとうございます。本日はお忙しい中、皆さま本当にありがとうございます。最初に、斎藤投手が入団してくれたことを本当に嬉しく思っています。メジャーで84セーブ、日本でも48セーブを挙げた実績を持っています。特に、メジャーでの経験というものは非常に大きなものだと考えています。ご存知のように、我々のチームは若いチームですので、彼が良い兄貴としてチームを引っ張ってくれることがチームにとっても非常に良い影響を及ぼしてくれるのではないかと考えています。何回か斎藤投手とお話をさせていただいたのですが、彼の野球に対する考え方、特にメジャーに最初に挑戦した時の彼の話などは本当に素晴らしいものだと非常に感銘を受けました。彼の野球に対する思いというものが、チームに良い形で伝わってくれればと考えています。またご存知のように、斎藤投手は仙台出身です。我々は被災地を代表して、なんとしても優勝したいと考えていますので、彼を中心にチームが1つにまとまり、チームとしても優勝したいと考えています。斎藤投手には我々よりも良い条件のお話が他にもあったと思います。でもこの地を、この土地を、生まれの故郷である仙台・東北を選んでくれたことを私は本当に嬉しく思っております。

■斎藤隆選手 コメント

斎藤 隆選手

この度、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団が決まりました斎藤隆です。本日こうして皆さまの前で挨拶をさせていただくことになりました。社長のお話にもありましたように、仙台出身というのももちろんあります。生まれもすぐそこです。野球を始めたのもすぐそこです。私が甲子園出場を決めたのはまさにこの場所でした。それから僕が大学生の時に内野手からピッチャーに転向して、ここに繋がった最初のスタートは3塁側のブルペンでした。もう語ればきりがないほど、この仙台・宮城、そして東北という地にはたくさんの縁があります。友達や色々な方々が本当に陰ながらと言いますか、ずっと僕の野球人生、子供の頃からの人生もそうですが、支えていただきました。まさかこの地で、今こうして皆さまの前で「自分の地元のプロ野球チームに入団させていただきます!」という言葉を発することそのものがまだ信じ難い、夢のような、今までの入団会見とは全く違った興奮と言いますか、そういうものを強く強く感じております。とにかく勝つために自分の力がどれほどチームの中で役に立てるか、今はどんなに経験があってもゼロだと思っています。もちろんその力をフルに使って、チーム・選手だけでなく、スタッフ・球団の方々とともに、仙台の地にチャンピオンフラッグがたなびくことを夢見ながら一歩一歩今日からイーグルスの一員として歩んでいきたいです。どうぞ、改めてよろしくお願いいたします。

記者:楽天イーグルスに入団を決意するまでの経緯を教えてください。
斎藤:実は一昨年というよりは、もっと数年前から、私がメジャーでプレーしている頃からずっとお声がけをいただいていたのは代理人を通じて、エージェントを通じて分かっていました。ただ、自分の中でなかなか日本に帰ってプレーするということが、アメリカに渡った時もそうなのですけど、ずっとそういうイメージがなかったです。それから2年・3年と私を口説き落としてくれたと言いますか、ここに導いてくれたと言いますか、色々な流れがあるので一概にそれが全てということではないのですけれども、立花社長に変わられてからもなお、また違う形でのアプローチがありました。立花社長の熱さと言いますか、熱い想いが自分をここに呼んでくれた1番大きな要因だと思います。

記者:楽天イーグルスの印象を教えてください。
斎藤:若い球団だということを当然理解していますし、古い球団にはない、これからどう歩んでいこうかというお話を社長からいただきました。メジャーの良いところをどんどんイーグルスというチームに取り入れて、また自分の良きところも残しつつどんどん変革をして変えていって、日本の野球のシステムそのものでさえも変えてみようじゃないかと。何を言っても今は通じないけれども、とにかく勝って勝って勝ちまくって、そういう声が日本中に世界中に響くような、この仙台の東北のチームが世界を向いてるというそういう言葉をたくさん聞かせていただきました。聞いていて本当に熱くなりました。身震いするような熱さがありました。まさにそこで自分がその力のほんの少しにでもなれるのであれば、これ以上幸せなことはないという想いです。

記者:2年前に東日本大震災が発生した際、斎藤選手はアメリカにいましたが、東北に戻るという気持ちはあったのでしょうか?
斎藤:震災を知ってからここまで、そのことと野球を結びつけるのはある意味ではほど遠いと言いますか、野球は残念ながらそういう全ての人をフォローするようなことではないというのも理解しています。数字的なことだったり、時間が経てば経つほど、震災直後とまた違った状況が見えたり、なんとも表現しずらいものがあるということはよく理解しています。反面、野球という素晴らしいスポーツの力ということも改めて気付かされました。ですから、可能な限りそういうものを求められるのであれば、我々にできることは1つしかないと思っています。何よりそういったことの力になるということは本当におこがましいという想いなので、もしもその1つの勝利が積み重なってくることによって東北の地が熱くなるのであれば、もちろんそういう部分でも、またグラウンド外でも、何かできるのであれば全力を尽くしたいです。前から思っていたことではありますが、これからも強く思っていきたいです。

記者:地元の方々からの東北に戻ってくる待望論などもあったかと思いますが、入団を決める後押しにはなりましたか?
斎藤:プレイヤーとして本当に嬉しく、幸せなことはこういったことなのだろうなと思います。本当にそういった言葉をここ数年の間、アメリカに行ってからたくさんかけていただいていました。ただ、だからというわけではないですね。私の決断は私がつけましたので。もちろん後押ししていただいたとは思っていますし、またそういう期待の大きさも感じています。自分のやるべきこと、ドラマはグラウンドで見せたいと思っています。

記者:7年間のメジャー生活の中で得たものは何でしょうか?
斎藤:たくさんあるのですけど、例えばここに契約させていただく今日を迎えるにあたって、社長と幾度となくお話させていただいた中で「その話いいですね。」と言っていただいた話があるのですが、その中の1つとして、日本のプロ野球の施設の中で、選手が着替える場所を「ロッカールーム」という表現のことなのですけど、メジャーでは「クラブハウス」という言葉を使うのです。使うという言葉が正しくないかもしれないのですが。つまり、我々は社長をはじめとした、あるいはGMをはじめとしたファミリーだと。プレイヤーだけがある意味特別な意味で特別であったりとか、球団の人間が常に選手の上にいるとか、そういうことではないと。もちろん決まりごととして役職のそういうものはあるけれども、俺たちは皆ファミリーだと。メジャーでは皆がリスペクトし合っているということが大きな違いですかね。という話をさせていただきました。選手であったり、スタッフの方であったり、もしかしたらメディアの皆さまの力も当然お借りすることになったりとか、理解いただくことになると思いますが、そういうところから自然に東北という地から日本の球界が少しずつ変わっていくことになれば、自分が日本に帰ってきた意味の1つになったりするのかなと思っています。

記者:星野監督とはお会いしましたか?
斎藤:私がずっと忙しくて、実はまだ残念なのですが、何度かこの時期どうですか?とスケジュールをいただいたのですが申し訳なくてですね。まだお会いできていないです。

記者:星野監督のイメージ・印象を教えてください。
斎藤:そうですね、きっと皆さんと同じイメージだと思うのですが、いかがですか(笑)。

記者:すでに斎藤投手に教えを請いたいというような門下生が球団にいるという話も出てきています。
斎藤:非常に嬉しいです。後輩にあたるので、そういった言葉を言ってもらえるのは非常に嬉しいですね。でも僕が全てだとは思いません。自分の力の長所だったり短所だったり、どれほど自分を知ってるのかなという、そこを知って欲しいですね。もちろん僕がやってることや、やってきたことでプラスになればもちろん良いですけど、そうではなく、自分磨きをしてもらいたいです。教えたり助けたりするのであれば、自分をどう磨いていくのかということを伝えられたらいいのかなと。プレイヤーとしての個性を少しでも出してもらいたいですね。監督やコーチという立場も皆さんございますが、私ができることはそんなたいそうなことではないですけれども。もしそういう想いがある後輩たちがいるのであれば、そうした話もしていきたいですね。

記者:背番号は44番になりました。背番号を決めた理由を教えてください。
斎藤:いくつか候補はいただきました。もう1つは42番も空いてるとのことで。ドジャース(時代)のことになってしまうのかもしれないですが、自然に44番にしてくださいといった感じでしたね。42番もアメリカでは良い番号で、ずっとつけたいと思ってはいたのですが44番にしました。

記者:同じく今シーズンに新加入するアンドリュー・ジョーンズ選手やケーシー・マギー選手と一時期はチームメイトでした。
斎藤:そうですね、彼らは"Good Guy" "Great Guy"という、いわゆるメジャーの中でもプレーだけではなくて、人間的にもメジャーリーガーとして誇れるプレイヤーだと思います。彼らとプレーできたことはずっと誇りに思っていましたし、またこうして日本で、東北でということで、色々な想いがありますけど。何か彼らが助けを「サミー(斎藤選手の愛称)ここはどうなんだ?」ということがあれば、いくらでも力になりたいし、また彼らとともに優勝を目指せるということは本当に幸せなことですね。

記者:一方、かつてこの球場で一緒に汗を流した金本選手(東北福祉大学で同学年/元阪神タイガース)とは何か話をしましたか?
斎藤:ずっとポイントポイントでお話をさせてもらっていました。させてもらっていましたというんですけど同級生なのですけどね(笑)。今回は年賀状でやりとりをしたのですが、僕からは「俺と対戦することなく引退したことを悔しいと思うくらい頑張ってやる!」ということを書きました。

記者:2月のキャンプに向けて、これからのトレーニングの予定を教えてください。
斎藤:シーズン終わって日本に帰ってきて、毎年そうなのですけど、約3週間から4週間の休養をとります。その中の1週間はアメリカで過ごすので、日本に戻ってから3週間後にはウォーキングから簡単なウェイトトレーニングを始めます。例年通りウェイトトレーニングの重量も上がっていますし、ただ投げる方が寒さだったり天候に左右されるので、僕の場合は天候が良い時に投げるようにはしています。あとは暖かい所でトレーニングを午前中から昼過ぎくらいまでやっていたので、このあたりは通年の流れです。あとはキャンプインがメジャーより約半月早いので、その分は後にこちらで自主トレをさせていただくことになるので、その頃に佐藤コーチ・森山コーチにお話をさせていただいて、どんな所でどういった形でという話は、まだ後日させていただきたいと思っています。

記者:最後に、今シーズンの目標・決意をお願いします。
斎藤:数字の目標を出せれば良いと思うのですけど、あまりそういうのは好きじゃなくてですね。ただ自分の中にはもちろんあります。でも僕がやらないといけないことは、例えばキャンプの1日だったり、その積み重ねであって、それを積み重ねることによって、シーズンの勝ちに貢献していくことであったりするので、もうそろそろ足元をしっかり固めるようなことをやっていきたいと思っています。とにかく1つの勝ちに貢献したい。その1つの勝ちの積み重ねが・・・ということになると思うので。目標と言いますか、もちろん大きな目標は先ほどから言っているように「東北の地に」という想いはありますけれども。これからは足元をしっかり固めていくような時期に入ってくると思いますので。1日1日を大事にしていきたいと思います。

斎藤 隆選手 プロフィール

選手名
斎藤 隆(さいとう たかし)
生年月日/出身地
1970年2月14日/宮城県仙台市
投打
右投左打
身長/体重
188cm/90kg
ポジション
投手
経歴
東北高 - 東北福祉大 - 大洋ホエールズ(1991年:ドラフト1位)- 横浜ベイスターズ - ロサンゼルス・ドジャース - ボストン・レッドソックス - アトランタ・ブレーブス - ミルウォーキー・ブルワーズ - アリゾナ・ダイヤモンドバックス - 東北楽天 ゴールデンイーグルス

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